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東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)42号 判決 1965年2月25日

原告 高橋庄三郎

被告 特許庁長官

補助参加人 日本レイヨン株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告代理人は、「昭和三三年抗告審判第五八四号事件について特許庁が昭和三五年五月三〇日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、請求の原因

原告代理人は、請求の原因として次のように述べた。

一、原告は、昭和二九年七月一四日「捲縮擬毛ナイロン糸の製造方法」なる発明につき特許出願をしたところ(昭和二九年特許願第一四、六六三号)、昭和三一年八月二〇日その出願公告がなされた(昭和三一年特許出願公告第七、〇九八号)。これに対し参加人日本レイヨン株式会社外四名から特許異議の申立があり、審理の結果昭和三三年二月一九日右日本レイヨン株式会社の異議を理由ありとする旨の決定と同時に拒絶査定がなされた。そこで、原告は同年三月二二日抗告審判の請求をしたが(昭和三三年抗告審判第五八四号)、特許庁は昭和三五年五月三〇日抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をし、その審決書謄本は同年六月四日原告に送達された。

二、本件特許出願にかかる発明の要旨は、「ナイロン原糸それぞれ右撚約一、八〇〇―二、八〇〇回(米)左撚約一、八〇〇―二、八〇〇回(米)収縮二〇%に施したものを圧力約〇・五―二・五瓩で一〇―四〇分間圧蒸して下撚を固定した各単糸を下撚より少ない回数で且つ右撚と左撚とで一方がほぼ一〇〇回少ない程度に撚戻をかけ、これらの単糸を二本引揃えてほぼ一〇〇―二〇〇回の上撚を施すことを特徴とする捲縮擬毛ナイロン糸の製造方法」にある。

三、審決は、特許異議申立人が提出し拒絶査定においても拒絶理由の根拠として引用された「メリアンド・テキスタイルベリヒテ」一九五四年五月号の記載内容が本件発明の特許出願前公知の状態にあつたとし、本件発明は右引例記載の事項から当業者が容易に想到できる程度のものであるから旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第一条に定める特許要件を具備しないものと判断してしているのである。

四、しかしながら、審決は、次に述べるように判断を誤つており、違法のものといわねばならない。

(一)  審決は、特許異議申立人の提出にかかる京都大学工学部繊維化学科図書室発行の昭和三一年九月一四日付証明書により前記刊行物が本件発明の特許出願前に公知の状態にあつたものと認定しているが、右証明書は権限ある発行責任者の記載を欠いており、これをもつて直ちに公式の証明書とするわけにいかない。そればかりでなく、右証明書には一般の閲覧に供している旨の記載があるが、右は事実に反しており、実際は極めて限られた範囲の者にしか閲覧を許していないのである。それゆえ、前記刊行物の公知性を証明するに足るものは、原告が抗告審判において乙第一号証として提出した京都大学附属図書館長田中周友発行の昭和三四年四月一一日付証明書のみであり、これによれば、前記刊行物が同図書館において一般の閲覧に供され公知性を具備したのは、本件発明の特許出願後である昭和三〇年三月二三日以降であると認めるべきである。尤も審決には、前記図書室発行の証明書につき「当審において調査したところ、これが信ぴようするに足るものであることは充分認められる。」と説示しているが、その信ぴよう力を認めた根拠についてはなんら具体的に説示するところがない。してみれば、審決は引用刊行物の公知性を証明するに足りない証拠を独断的に採用して、本件発明の特許要件を否定する前提とした点に違法があるといわねばならない。

(二)  審決が本件発明を引例の記載から当業者の容易に想到し得る程度のものにすぎないと認めた理由として説示するところは次のとおりである。すなわち、引用刊行物には、「二本のパーロン原糸にそれぞれ右撚二、八二〇回、左撚二、七六〇回を施した後一・八―二気圧(約一・八―二瓩)で一・五―二時間圧蒸して上記の下撚を固定し、つぎに上記二本の糸を上記下撚と反対方向にそれぞれ二、八五〇回解撚し、しかる後引揃えて九二回の左撚を施す捲縮擬毛糸の製造法」が記載されており、本件発明の方法と右引用例の方法とを比較するに、両者は「合成繊維よりなる二本の原糸にそれぞれ反対方向の下撚を施した後熱固定し、しかる後これらを解撚したものを二本引揃えて少数の上撚を施す合成繊維擬毛糸の製造方法」である点において一致し、ただ、(1)前者すなわち本件発明の方法が合成繊維原糸としてナイロンの単糸を採用しているのに対し、後者すなわち引用例の方法においてはこれをパーロンの単糸としている点、(2)前者が右・左いずれも一、八〇〇回―二、八〇〇回の下撚を施しているのに対し、後者では右撚二、八二〇回左撚二、七六〇回を施している点、(3)前者が前記下撚を施す際の撚り縮みを二〇%と限定しているのに対し、後者では別段この撚り縮みについて記載されていない点が主要な相違点であり、その他圧蒸の蒸気圧と時間、解撚後の残存撚数、引揃え後の上撚数等の点においても若干の相違点が存する。しかし、(1)の点については、ナイロンもパーロンもともにポリアミド系合成樹脂に属するものであつて、これらは同効材料と認められ、ナイロンであるがための特殊の効果があるとも認められない。(2)の点については、本件発明の特許出願当初の明細書には、下撚数として二、三〇〇回を施す旨示されていたのが、後に一、八〇〇―二、八〇〇回と訂正され、抗告審判において再び二、三〇〇回に訂正せんとする意思が表明されているというような経過からみても、さらにまた、捲縮擬毛糸の製造法における下撚は、本来糸の太さすなわち繊度により大体において一、〇〇〇―五、〇〇〇回の範囲内において変化するものであることは一般に知られているところであるということからみても、本願発明における下撚数が引用例のそれに比較して格別意味のあるものとは認められない。(3)の点については、二〇%程度の収縮は、二、〇〇〇回程度の下撚を施す際に、玉糸のできるのを防止する範囲内の普通の収縮率であり、また収縮率に関する明細書の記載からみても、本願発明における収縮率二〇%が独特のものであり且つ特殊な作用効果を奏するものとは認められない。以上三点以外の差異は、いずれも当業者が必要に応じ容易になし得るものであつて特殊の効果を奏するものとは認められない。このように審決は説示しているのである。

しかしながら、右の判断も不当である。

(イ) 原糸の点 パーロン原糸なるものは、国内に流通していないので、その化学的構成および物現的特質を十分に把握しがたいが、文献によれば種々の点においてナイロンと相違するものであり、殊に後記(二)の圧蒸固定の実験の結果からみても、融点がナイロンより高いものと考えられるのであつて、審決に述べているように単純に同効材料と認めることはできない。

(ロ) 下撚数の点 原告は、昭和二七年初頃よりウーリーナイロンの製造技術の研究に着手し、苦心実験を重ねた末昭和二八年に至り漸く本願発明のような下撚数の結論に到達したのである。当時ウーリーナイロンの製法として、繊度により下撚数の変化することはわかつていても、如何なる変化をどの程度に生ずるかということは、実験も予測もできないところに、原告のみならず一流業者の技術陣の悩みがあつた。原告は、二、三〇〇回/米の下撚が最も好結果を来たすことを発見し、当時の撚糸機の精度からみて、上下五〇〇回/米のアロウアンスをとつて出願したもので、当時としては、審決のいうように格別意味がないどころか、ウーリーナイロン製法上画期的な発明であつたわけである。すなわち、一、八〇〇回/米以下の下撚の場合には製品に伸縮性が少なく、編成後ダラリとしたものが出来、二、八〇〇回/米以上の場合には、岩石のような感じとなつて平均した解撚が困難となり、いずれも適正な製品とはならない。この点からみても、引用例の方法は本願発明とその思想においては同種類であるにしても、発明の要点において大いに異なるものといわねばならない。

(ハ) 収縮率の点 収縮率は、もとより糸の性質・繊度・下撚数との相関関係において決定されるものであるけれども、このことを具体的に捕捉したのは本願発明が最初である。ウーリーナイロン編成上収縮率が統一されないと、撚り斑・染斑・ヒケ(編物が一様に編み上らずつつぱること)を生じ不良品が出来ることになる。下撚りの結果を収縮率の面から捕捉し規定することは、右のような結果を避けるために有効であり、この点でも本願発明は独特のものである。

(ニ) 圧蒸の蒸気圧と時間の点 実験の結果によれば、一・八キロの圧力によつて圧蒸してみると、容器内の温度は約一三〇度に上りナイロンは溶融点に達し、各フイラメントが糊着して使用に耐えられなくなる。原告は、苦心の末圧力約〇・五―二・五瓩で一〇―四〇分間圧蒸するのが最適であることを発見したのである。ところが、引用例の記載によれば、「圧力一・八―二気圧(約一・八―二瓩)で一・五―二時間圧蒸する」というのであるから、引用例におけるパーロンなるものは本願発明におけるナイロンとは全く性質が異なるものではないかと疑うに足る十分な現由があり、引用例の記載はナイロン原糸については適切なものではない。

(ホ) 撚戻数の点 撚戻数において一方が他方より一〇〇回少ないことによつて慣性(モーメント)を相殺するのに大いに役立ち良質の製品が出来ることも本願発明の要点である。なるほど、引用例は前記下撚固定の単糸をそれぞれ二、八五〇回撚り戻すこととしており、これによつても結果的には右撚九〇回/米左撚三〇回/米となり、本願発明と類似した思想をもつてはいるが、ナイロン原糸に関する限り、引用例の撚戻数では良好な結果が得られないのである。

(ヘ) 上撚数の点 上撚数については、引用例は前記撚戻しをかけた単糸を揃えて九二回/米左撚りを施すのであつて、この点は本願発明との間にさしたる差異がないともいえるが、引用例で九二回/米と限定したことにはそれほど意味があるとは思われない。

以上(ニ)・(ホ)・(ヘ)について、審決では、当業者が必要に応じて容易になし得るもので特殊の効果を奏するものとは認められないと一蹴しているけれども、少なくとも、(ニ)については引用例はナイロンに適切でなく、また(ホ)についての本願発明も原告が苦心の末に完成したもので、決して必要に応じて容易になし得るようなものではない。

なお、発明者マリヤン・ベーブレル、出願人ヘーベルライン・ウント・コンパニー・アクチエン・ゲゼルシヤフトの「糸を最初に強撚しこの強撚状態で湿潤又は乾燥した熱による処理でセツトしこれを普通の撚りに撚戻しその後に反対の撚方向に再び強撚し湿潤又は乾燥した熱により再びセツトしこれを普通の撚りに撚戻すことを特徴とする有機質合成織物繊維の永久的に捲縮された糸を製造する方法」についての発明(特許出願昭和三一年一一月一二日、公告番号昭和三三年第一、〇〇〇号)が特許を受けている事実があるが、右発明の内容は、結局「強撚し熱処理し撚り戻す」ことによつて捲縮糸を製造する方法に外ならないのであるから、本願発明の特許を拒絶した考え方からすれば、右発明も特許されなかつたはずである。右特許発明が当業者の容易に想到し得る程度のものとされず特許されていることからみても、本件審決の認定は相当でないというべきである。

五、以上のように、本件審決には、引用刊行物の公知性および本願発明と引用例との相違点につき認定を誤つた違法があるので、その取消を求める。

第三、答弁

被告代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対し次のように述べた。

一、原告主張の一、二、三の事実および同四の事実中審決の内容に関する部分は認めるが、その余の主張事実および見解についてはこれを争う。

二、(一) 原告主張の四の(一)について

審決は、原告主張の図書室発行にかかる証明書を公式のものとしこれのみによつて原告主張の刊行物が本件発明の特許出願前に右図書室において一般の閲覧に供されていた事実を認定したのではなく、右証明書の信ぴよう性について抗告審判において職権で調査した結果前記図書室の昭和三四年七月七日付回答書および京都大学総長の同月二二日付回答書の記載によつて、前記証明書の記載内容が信ぴようするに足るものであることを確かめたうえ、前記刊行物の記載が本願発明の特許出願前国内において公知のものであつたものと認定したわけである。そのように認定した理由についても、審決には原告主張のような説示をしており、それ以上詳細な説明がないからといつて、審決の右認定が違法であるということにはならない。

(二) 原告主張の四の(二)について

原告は本件発明の方法と引用例の方法の相違点を挙げて、前者が後者から容易に想到し得るものでない旨主張するけれども、その理由のないことは次に述べるとおりである。

(イ)  原糸の点 本件発明の特許出願当時、ナイロンはすでに合成繊維として一般に知られていたものであり、本件発明もこのナイロンの有している諸性質中当時知られていた尋常の性質を利用したものと認められ、しかも当時は、次々に出現する多種類の合成繊維についてそれぞれ種々のテストを行なうという状勢にあつたのであるから、このような場合にパーロンにおいて周知の手段をナイロンに施すことは、さしたる発明力を要しないものと認めるのが相当である。それゆえ、審決において右両合成繊維の原糸を同効材料と認めたことを失当とすることはできない。

(ロ)  下撚数の点 本件発明は、下撚数については、二、三〇〇回に上下各五〇〇回のアロウアンスを設け、結局一、〇〇〇回の下撚数の巾を有しているわけであるが、この点に関し、本件発明の下撚数の上限である二、八〇〇回と僅かに右撚二〇回、左撚四〇回の差しかない引用例における下撚数と比較した場合、その差異が格別意味のあるものとするほどの根拠は認められないのである。

(ハ)  収縮率の点 本件発明では、収縮率を二〇%に限定しているが、この程度の収縮率は、二、七〇〇回位の撚を施す際に玉糸のできるのを防止する範囲内の普通の収縮率であつて、この点に独得の効果があるとは認められないこと、審決にも述べているとおりである。

(ニ)  圧蒸の際の圧力、撚戻数(解撚数)および上撚数の点 これらについても、本件発明におけるものと引用例におけるものとの差異に関し、精査検討したが、いずれも当業者が必要に応じ容易になし得る程度のものであつて、独得の効果を奏するものとは認められなかつた。

(ホ)  要するに、原告主張の(イ)ないし(ホ)の相違点は、引用例のものから当業者の容易に想制し得る範囲を出るものではなく、したがつて本件発明の特許性を否定した審決にはなんら判断の誤りはない。

第四、証拠関係<省略>

理由

一、原告主張の一、二、三の事実および同四の事実中審決の理由については当事者間に争いがない。

二、右争いのない事実と成立に争いのない甲第一号証(本件発明の出願公告公報)の記載によれば、本件出願発明の要旨は、「ナイロン原糸夫々右撚約一、八〇〇―二、八〇〇回(米)左撚約一、八〇〇―二、八〇〇回(米)収縮二〇%に施したものを圧力約〇・五―二・五瓩で一〇―四〇分間圧蒸して下撚を固定した各単糸を下撚より少い回数で且右撚と左撚とで一方がほゞ一〇〇回少い程度に撚戻をかけこれらの単糸を二本引揃えてほゞ一〇〇―二〇〇回の上撚を施すことを特徴とする捲縮擬毛ナイロン糸の製造方法」にあり、その目的とするところは、柔軟な伸縮性と毛糸と同様な色沢とを具えた捲縮擬毛ナイロン糸を得んとするものであることが認められる。

三、審決引用の刊行物記載事項の公知性について

成立に争いのない乙第二号証の一、二、三、証人石津江佳子、片桐伝三の各証言および検証の結果を総合すると、審決引用の刊行物である「メリアンド・テキスタイル・ベリヒテ」一九五四年(昭和二九年)五月号は、昭和二九年六月一七日京都大学工学部繊維化学科(現在は高分子化学科)図書室に受け入れられ、爾後同大学の職員、学生その他同学科担当教官の紹介を受けた者等が閲覧をなし得る状態にあつたものであり、閲覧者に対し特に閲覧によつて知得した事項につき秘密を守ることを要求するような措置がとられていたこともない事実を認めることができる。成立に争いのない甲第一〇号証(京都大学附属図書館長の証明書)には、前記刊行物は昭和三〇年三月二三日同図書館にこれを受け入れ一般の閲覧に供している旨の記載があるけれども、これを前記乙号各証殊に乙第二号証の三(京都大学総長回答書)および石津江証人の証言と対比すれば、昭和三〇年三月二三日というのは、前記刊行物の一年分(一九五四年分)一二冊の配本が終わり、一冊にまとめて製本のうえ、同大学附属図書館が備品としての登載手続(それ以前の各月分は消耗品として受け入れたのを品目更正)を経て一般の閲覧に供した日であつて、その以前でも各月分はそれぞれ受入れ日から前記のように閲覧を許していたものであることが認められるから、甲第一〇号証は前記認定を妨げる資料でないことは明らかである。また、各月分分冊の状態にあつた当時前記刊行物が誰にでも無制限に閲覧を許す建前になつていなかつたことは前記両証人の証言によつても認められるところであるが、それは現品管理の都合上そのような建前になつていたにすぎず、実際上厳格に閲覧者を制限するような取扱いをしていたわけでないことも右証言によつて認められるばかりでなく、閲覧者に特に黙秘義務を課していたものでないことは前記認定のとおりである。また、成立に争いのない丙第二号証によれば、前記刊行物は横浜市所在工業技術院繊維工業試験所にも昭和二九年六月一七日に受け入れられ、爾来部内者は勿論部外者にも閲覧を許していたことが認められ、その閲覧につき特に秘密を守る義務を課していたことを認めるに足る証拠もない。してみれば、前記刊行物は、本件発明について特許出願がなされた昭和二九年七月一四日以前において国内に頒布せられその記載内容は公知の状態にあつたものと認めるべきである。それゆえ、本件発明の特許出願についての拒絶査定を維持する理由として審決が前記刊行物の記載を引用したこと自体をもつて違法とする原告の主張は採用することができない。

四、本件発明と前記刊行物記載事項との関係について

(一)  成立に争いのない乙第一号証の一、二(前記メリアンド テキスタイル ベリヒテ一九四五年五月号)によれば、その四九三頁左欄三七行目ないし右欄六行目および同頁右欄下から二三行目ないし一三行目には、二本のパーロン原糸にそれぞれ一米当り(以下撚り数何回とあるときは、一米当りの回数をいうものとする。)右撚り二、八二〇回、左撚り二、七六〇回の下撚りを施し(出発物質は60/12dで右撚り三五〇回の元撚りを施したものを用い、右撚り二、七二〇回左撚り三、三六〇回を加撚し、これによつて右撚り三、〇七〇回、左撚り三、〇一〇回となるところ、いわゆる「撚り逃げ」(Einzwirnen)約八%として二五〇回を差し引き、右撚り二、八二〇回、左撚り二、七六〇回となる。)これを一・八―二気圧で、一・五―二時間圧蒸して前記下撚りを固定し、次にその二本の糸を右の下撚りと反対の方向にそれぞれ二、八五〇回撚り戻し、然る後これらの糸を引き揃えて九二回の左撚りを施す捲縮擬毛糸の製造方法が記載されていることが認められる。そして、右糸が捲縮性を有することからみて、これを織物や編物に使用すれば伸縮性のある布地が得られることもまた容易に推認し得るところである。

(二)  そこで、本願発明の方法(前者)と引例の捲縮擬毛糸の製造方法(後者)とを対比してみるのに、

(1)  原糸として用いる繊維が、前者ではナイロンであるのに対し、後者ではパーロンであること

(2)  原糸に施す下撚りが、前者では右、左ともに一、八〇〇―二、八〇〇回であるのに対し、後者では右二、八二〇回、左二、七六〇回であること

(3)  右(2)の下撚りによる撚縮みを前者では二〇%と限定しているのに対し、後者では特に限定していないこと

(4)  撚りを固定せしめるための圧蒸につき、前者では蒸気の圧力を〇・五―二・五瓩、時間を一〇―四〇分間としているのに対し、後者では、一・八―二気圧(圧力約一・八―二瓩に相当)で時間は一・五―二時間としていること

(5)  前者では、撚戻数が下撚数よりも少なく、左右の差が一〇〇回であるのに対し、後者では、撚戻数は二、八五〇回で、残存撚数は下撚り右二、八二〇回のものが左三〇回、下撚り左二、七六〇回のものが右九〇回となること

(6)  これら単糸を二本引き揃えて、前者では一〇〇―二〇〇回上撚りを施すのに対し、後者では九二回の左撚りを施すこと

において相違があるけれども、両者は、

(イ) ナイロン系の熱可塑性の繊維からなる二本の原糸を使用し

(ロ) これらの原糸に右および左方向に一、八〇〇回以上の下撚りを施し

(ハ) これらを圧蒸して(ロ)の下撚りを固定し

(ニ) 次いで、前と逆方向に撚りを施し、すなわち撚戻しを行ない、その結果それぞれの単糸の残存撚数に差があるようにし

(ホ) 然る後これらの単糸を二本引揃えて二〇〇回以下の上撚りを施す

という点においてはその軌を一にするものということができる。

(三)  そこで、前記(1)ないし(6)の相違点について検討してみる。

(1)  原糸の名称・性質の点

成立に争いのない乙第四号証の一、二、三丙第六号証の一、二および原告が陳述した昭和三七年三月二九日付準備書面添付の説明書の記載を総合すると、パーロンにはナイロンと同じくポリアミド系に属する「パーロンT」「パーロンL」とポリウレタン系に属する「パーロンU」の三種があり、単にパーロンというだけでは右三種のうちいずれを指すものであるかが明確でないといえるけれども、引用例全体の記載に前記原告提出の説明書における「パーロンU」の用途に関する説明を合わせ考えると、引用例にいうパーロンは、ナイロンと同種のポリアミド系合成繊維である「パーロンT」(ナイロン六六)または「パーロンL」(ナイロン六)を指称するものとみるのが自然であり本件発明において原糸として使用するナイロンと同効材料と認めるのが相当であり、しかもこのことは本件特許出願前国内において当業者の一般に知るところであつたものと認められる。なお圧蒸に関する実験の結果からみても本件発明と引用例とにおけるそれぞれの原糸が同性質のものとは認め難いとする原告の主張の理由のないことは後記(4)の説示によつて明らかであり、他に前記認定を妨げるに足る証拠はない。

(2)  下撚数の点

本件発明における下撚数の上限二、八〇〇回と引用例における下撚数右二、八二〇回、左二、七六〇回とを比較するに、後者は右撚りで二〇回多く、左撚りで四〇回少ないわけであるが、この程度の差は、全撚数からみればごく僅かな差にすぎないといえる。

原告は、最も好結果の得られる下撚数は二、三〇〇回であるが、撚糸機の精度を考慮し上下五〇〇回のアロウアンスをとつて一、八〇〇―二、八〇〇回とした旨および二、八〇〇回以上の下撚りでは岩石のような感じのものとなり平均した解撚が困難である旨主張している。しかし、下撚数は原糸の太さと関連し、原糸の太さが変ればこれにしたがつて下撚数も変えなければならないことは技術上の常識であり、一方本件発明において発明を構成する必須要件として原糸の太さを限定しているものと認めるに適切な資料はなく(本件発明の明細書中「発明の詳細なる説明」の項において工程の説明および実施例の説明の部分に一一〇デニールのナイロン原糸を使用することが記載されているけれども、「特許請求の範囲」の項にはこの点についての限定的な記載はなく、前記説明文も原糸の太さを右のように限定することを本件発明を構成する必須要件とする趣旨とは解されない。)、また撚糸機の精度のアロウアンスを見込んで下撚数に上下各五〇〇回の巾をもたせたというようなことは明細書に少しも記載されていないところである。それゆえ、下撚数に上下限の巾をもたせたのは、撚糸機の精度のアロウアンスを見込んだというよりは、むしろ原糸の太さに対応させるためのものと考えられる。いずれにしても、本件発明の要旨としては、下撚数が左、右いずれも一、八〇〇―二、八〇〇回となつている以上、そのような巾をもたせたものとして引用例と比較する外はない。上限二、八〇〇回を超えると前記のような悪結果を生ずるという原告の主張が仮に一一〇デニールの原糸についていうものであり、そしてこの場合下撚り数の上限二、八〇〇回について原告主張のような効果上の差異が実際に生ずるものとしても、原糸の太さが異なれば右上限の下撚数もまた異なるものと考えられる。したがつて、引用例の下撚数と本件発明における下撚数に前記のような差異の存することのためにそれぞれの製品に著しく差異を生ずるとするのは妥当でなく、その他下撚数を本件発明のように定めたことによつて引用例の方法から予測し得ないような顕著な効果上の差異を生ずることを認めるに足る資料はない。

(3)  下撚りによる撚縮み―収縮率の点

本件発明においては、この撚縮みを二〇%と限定しているけれども、これは下撚数に対して普通に考えられる収縮率の域を出るものとは認められず、引用例においては特にこの点について限定するところはないけれども、右の程度の収縮率は当然考慮されているものと考えるのが相当である。原告は収縮率が不適当である場合における製品の欠点を挙げているけれども、この点も撚糸技術の常識の域を出るものではなく、このような欠点の生ずることを避けるように撚縮みの率を決定することは、当事者の必要に応じて容易になし得る程度のことと考えられる。したがつて、下撚りによる収縮率の点について、本件発明と引用例とで特許性に影響を及ぼすような差異があるものとは認められない。

(4)  圧蒸の蒸気圧と時間の点

原告は、実験の結果によれば、容器内の温度約一三〇度でナイロンが溶融点に達し繊維が糊着した旨主張しているけれども、その実験がどのようにして行なわれたかが明らかにされておらず、しかもナイロンの軟化点は摂氏一八〇度溶融点は同二一五度であるから、原告主張の温度でナイロン繊維が溶融して糊着するというようなことは考えられないところであつて、原告の右主張およびこれを前提としてナイロンとパーロンが同効材料とは認め難いとする原告の主張は採用することができない。そして、引用例における圧蒸の際の気圧は本件発明におけるそれの範囲に含まれるものであるし、圧蒸の時間の点においては前記のように一〇―四〇分間と一・五―二時間との差があるけれども、これがために効果上著しい差異を生ずることを認めるに足る証拠はない。

(5)  撚戻数および上撚数の点

原告は、撚戻数において一方が他方より一〇〇回少ないことにより慣性(モーメント)を相殺するのに役立ち、この点も本件発明の要点である旨主張するが、引用例の方法においても撚戻しの結果両単糸の撚り数の差が本件発明と大差ないことになるものであり、また上撚数の点については両者間にさしたる差異のないことは、原告も自ら認めているところである。そして、撚戻数および上撚数の点についても、両者間に存する相違のために、効果上顕著な差異を生ずることを認めるに足る証拠はない。

(四)  以上(1)ないし(5)において検討したところを総合するに、本件発明と引用例とでは、個々の要件につき多少の相違は存するけれども、それがため本件発明が引用例から予測し得ないような顕著な差異を生ずるものとは認められず、結局本件発明は引用例から当業者が容易に想到し得べき程度のものと認めるのが相当である。

なお、原告は、その主張の有機質合成織物繊維の永久的に捲縮された糸を製造する方法(昭和三二年特許出願公告第一、〇〇〇号)が特許されていることからみても本件発明が特許価値あるものと認められるべきである旨主張しているが、右発明が特許されたことを認めるに足る証拠がないばかりでなく、仮にその事実があつたとしても、右発明は熱固定を二回行なうものであること等本件発明と異なる要旨のものであることは原告の主張自体からみても明らかであるから、原告の右主張は理由のないものとせざるを得ない。

五、以上説示のとおりであるから、本件発明が旧特許法第一条所定の特許要件を具えないものとした本件審決には、なんら判断を誤つた違法はなく、したがつて右審決の取消を求める原告の本訴請求はこれを棄却すべきである。(因に、原告本人の供述および本件口頭弁論の全趣旨に徴すれば、原告自身としては審決に引用された刊行物の存在することを全然知らず、自ら苦心の末本件発明をなすに至つたものであることを認め得ないわけではないのであるが、本件に適用せられる旧特許法のもとにおいては、「新規ナル工業的発明」をした者は特許を受けることができるものとされており、そして特許出願前国内に頒布せられた刊行物に容易に実施することができる程度に記載されていたものないしはこのような刊行物の記載から当業者が容易に推考することができる程度のものは、たとえ発明者が全然他の発明を知らないで独自になしたものであつても、「新規ナル工業的発明」ということができないものとされていたのであるから、本件について前記認定のような事実関係の存する以上、その特許性の否定されることも蓋し己むを得ないところというべきであろう。)

よつて、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)

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